抜け殻だった。
夏の終わりを告げる蝉の抜け殻のように、菩提樹の庭を眺めて過ごした。ヒグラシの寂しげな鳴き声と風鈴の涼やかな音色が夫の姿を思い出させる。縁側でタバコを燻らせていたあの背中を探しても、それは初七日の蝋燭の灯火となって揺らめいた。
「それじゃ、お母さん帰るわね」
「……送るわ」
大通りには、夫が手放さなかった赤いカローラが砂埃をかぶっていた。
「いいのよ、金沢駅までバスで行くから。あなたは休んでおきなさい」
「でも、悪いわ」
「明日から大学でしょ?ゆっくり休んで、無理しないのよ?」
母親は何度も後ろを振り返って用水路の橋を渡って行った。その後ろ姿が見えなくなると、堪えていた涙が頬を伝った。灯台躑躅の垣根に崩れ落ちる。ふとふり仰ぐと、錆びついた赤いポストに七日分の新聞が押し込まれていた。手に取ると、夜露の湿り気で手にズシリと重く感じた。私は、蛍が光の弧を描く縁側で、その新聞紙を一枚ずつ剥がして広げた。一日前、二日前、三日前…七日前…黒枠で囲った(お悔やみ欄)の片隅に、向坂 厳夫の名前を見つけた。
「…ううっ…ふぅっ」
嗚咽が孤独な茶の間に響く。チラチラと光る白い蛍光灯が、主人のいないガラスの灰皿の影を揺らした。残された数本の吸い殻から苦いニコチンのにおいが漂ってくる。何もかもが、あの夏の日で止まったままだ。なぜ夫は東尋坊に行こうと言い出したのか?今もなお、風をはらんだ白いワイシャツが目に焼き付いて離れない。
「この度はご愁傷様です」
数日後、保険外交員が家を訪れた。茶托から立ち上る香ばしい湯気、彼らは「いただきます」と一口番茶を啜り静かに湯呑み茶碗を茶托に置いた。目の前に広げられた保険金請求書、ボールペンを手渡され、その隣に朱肉が置かれた。
「こちらに、奥様のお名前と印鑑をお願いします」
「…はい」
私は震える手でボールペンを握り小さな枠の中に(向坂 橙子)と名前を書き入れた。向坂橙子、たった一年半の夫との時間がこんな紙切れ一枚で終わりを告げるとは思いもよらなかった。母親は名前を旧姓に戻さないかと(復氏届)を取り寄せたが断った。私は向坂橙子として生きてゆく。朱肉に印鑑を押し付けると、それは血のように見えた。
「それでは奥様の銀行口座に振り込まれますのでご確認くださいませ」
「お手数をおかけ致しました」
「それでは、失礼致します」
保険外交員は土間に革靴の足跡を残し、深々とお辞儀をした。紺色の傘が二つ、ガラス戸の向こうに消える。私は手元に残った複写の保険金請求書をグシャリと握り潰した。どこで聞きつけたのか、数日後、前妻から内容証明郵便が届いた。ご丁寧なことに、入り用の金額を書き込んだ銀行の振替用紙が同封されていた。
「五百万円…」
これ以上、養育費だのなんだのと煩わしいことに巻き込まれたくなかった。前妻の銀行には、一千万円振り込んだ。これで気を鎮めて四十九日の法要を済ませられる。
「さようなら、厳夫さん」
墓地は落葉と杉の子でぬかるんでいた。夫には身寄りがなく一人での納骨だった。石材屋が慎重に墓石を退けると地獄に続くような深淵が目に飛び込んだ。これは人の夫を奪った罰なのだろうか…因果応報、私は震える手で骨壷を墓に納めた。
二度目の熱い夜以来、私たちは「放課後ゼミナール」が終わると奥の座敷で深く繋がり合った。そんな私は金曜日の朝、厳夫さんの遺影をそっと裏返した。胸に空いた穴には隙間風が吹き、それは雨宮右京の熱情だけでは埋められなかった。葉桜が色付き、鮮やかな赤や黄色の絨毯が煉瓦道を埋め尽くす頃、美術工芸大学恒例の学園祭が催される。学園祭の幕開けは、仮装行列。繁華街のメインストリートを仮装で練り歩くパレードは、沿道の声援に笑顔で応え戯けて見せる。この日ばかりは生真面目な教授もたこ焼きのマスクを被って手を振った。その隣で妖怪やリオのカーニバルの衣装に身を包んだ男子学生のグループがサンバのリズムで踊り狂う。日々の鬱憤を晴らす学生たちは車道にはみ出し警察官に引き止められた。赤い棒を振り誘導する警察官の気苦労を考えると、お疲れ様である。「今年も賑やかね…」このパレードは強制参加ではないが、雨宮右京もこの群集の波に揉まれ右往左往していた。「佐々木ゼミナール」の女子学生が、長身の彼のために黒いスーツに黒いマント、赤い蝶ネクタイを鼻息も荒く特注で準備した。それを否が応もなく着せられた彼は色白で薄茶の巻き毛、整った顔立ち……実に見目麗しいドラキュラ伯へと変身した。人との交流が希薄な彼は戸惑っていたが、その姿をカメラに収めようと行き交う人はスマートフォンをカバンから取り出した。広坂通
少し季節外れの鋳物の風鈴が軽く舌を揺らす。それはシトシトと降る雨にかき消されて消えた。私は籐の椅子から立ち上がり、動きを止めた雨宮右京へと近づいた。畳が軋む音が静かな茶の間に響いた。「………そうなの、私には子宮がないの」「子宮、ですか」彼は生々しい臓器の名前にたじろいでいた。私は意地悪な笑みを浮かべた。「子宮がなくても女に見えるかしら?」「え……」「どう、見える?」シクシクと無くした子宮が痛むような気がした。肩までの黒髪から、白檀の香りが匂い立つ。「女に見える?」
八月の下旬。その夜は「放課後ゼミ」は課題の締め切りが迫る者、急遽アルバイト先のシフトが入る者と、皆、早々に席を立ち、午後八時にお開きとなった。テーブルに残されたのは飲みかけのビール瓶やグラス、焼き鳥の串に油まみれの皿と散々な状態だ。予定の無かった雨宮右京はその場に残り、テーブルから洗い物をキッチンのシンクに運び、飲みかけのビール瓶の後始末をする。スポンジに食器用洗剤を垂らし…洗剤…洗剤とは…彼は生まれて初めての食器洗いに手間取っていた。「先生、洗剤はどのくらい付ければ良いんですか?」「あぁ…適当よ、適当。チョちょっと垂らしてゴシゴシよ」「は…はぁ。そうですか」私は縁側に腰掛け、溶けかけた氷に琥珀色のウィスキーを注ぎ、色気のない指でカラカラと混ぜた。雨宮右京がキッチンに立ち皿を洗うと部屋の中の空気が揺れた。スポンジの泡が排水口に流れてゴボゴボと音を立てている。「また詰まったのかしら…いやね、もう」ゴボゴボと音を立てる配管に愚痴を溢しつつ静かな時間を楽しむ。隣には「好きです」と告白してきた男性がいる。私はそのひと時に酔い
両脇が石垣の急勾配。葉桜が枝を伸ばす坂道を上ったその先に、煉瓦造りの美術工芸大学が建っている。一階の駐車場の片隅やその奥の空き地には彫刻デザイン科の生徒が掘り出した石膏作品がゴロゴロと転がり、正面玄関にはレプリカの”サモトラケのニケ”が大理石の台座の上で大きく羽根を羽ばたかせている。私が助教授として勤める染色デザイン科の教室は、味気の無いコンクリート造りの二階にある。キュッキュッと滑りの悪いビニール貼りの床、鈍色の扉のネームプレートには「染色デザイン室」と黒いゴシック体の文字が並ぶ。隣室は油絵絵画室で、真夏になるとテレピン油独特の臭いが立ち込め気分が悪くなった。階段の踊り場からは青々とした芝生広場が一望でき、太い幹のシイノキの樹がポツンポツンと生えているのが見えた。雨宮右京は、そのシイノキの樹の下が気に入っているようだ。他の学生との関わりが希薄な彼は、いつも一人で染色に使えそうな果物の皮を剥いていた。課題を出してから一ヶ月半、何の音沙汰もなく業を煮やした私は、黙々と作業に取り掛かる彼の前に腰に手を当て仁王立ちした。私の顔が逆光で見えなかったのか、見上げた彼の視力が弱いのか、雨宮右京は私を誰だろうという顔をして見上げた。「雨宮くん、あなたいつになったら家に来るの?」「あぁ…向坂先生」「先生じゃ無いわよ、課題はどうしたの!」
それ以来、私の目は雨宮右京の背中を追うようになった。廊下ですれ違う横顔は冷酷なまでに無口で美しく、彫像のようだった。シイノキの枝にロープを張る時はTシャツの裾が捲れ上がり、しなやかな姿態が覗き胸がざわめいた。「…今週も来なかったわね」金曜の夜は彼がいつ現れるかと、ガラスの引き戸がカラカラと音を立てるたびに釘付けになる自分を年甲斐もなく…と失笑した。シイノキの再会から半月経っても彼は現れなかった。 「…今週も来ないのかしら」五月の末、灯台躑躅の白い蕾がふさふさと溢れる夕暮れ。日本酒の一升瓶を片手に雨宮右京がようやく私の家の敷居を跨いだ。「こんばんは、雨宮です」ガラス戸の玄関を入ってすぐ、三和土から杉の段を上がると畳敷の茶の間がある。金曜日の「放課後ゼミナール」では、学生たちが酒や肴を持ち寄り有意義な時間を過ごした。幸い私の家は大通りから入った細い路地の突き当たりにあった。周囲は空き家ばかりで何の気兼ねも要らない。その夜も賑やかで、雨宮右京の少し低い声は茶の間まで届かなかった。
喪中にも関わらず、生命保険会社から年賀はがきが届き苦笑いをした。バレンタインデーには夫が好んだ黒羊羹を仏壇に供えた。赤い南天の実をメジロがついばみ、雪が解け始める頃には一人の朝にも慣れた。吾亦紅の主人が言った「出会うべくして出会う人」にはまだ巡り会えず、鳥の巣頭の男性のことも忘れかけていた。そんな矢先のことだった。「先生!エドガー・アラン・ポーに会った事、ありますか!?」「なに。小説家の話?」染色デザイン科の女子学生が鼻息も荒く助教授室に傾れ込んできた。「違いますよ、漫画の登場人物ですよ!」「ああ、あれね」漫画に疎い私でも知っている美しい吸血鬼の少年たちの物語だ。女子学生が言うには、その登場人物のように美しい男子学生が染色デザイン科に転入してきたらしい。そこで私に「彼」に会ったことがあるかと尋ねてきたのだ。「先生のゼミには…!いませんか!?」ゼミナールの学生の顔を思い浮かべる